魔法の1週間(3)

魔法の1週間(3)

入院

東西病院の緊急受付から担架で院内に入ると、すぐに若い医師がやってきた。病状などを聞きながら聴診器で真剣な顔で聞き入っている。さらに血液検査を指示すると、次には頭部のMRI検査を指示する。夕方までには病状の診断が出る予定だ。緊急治療室から出て行っては検査を行っての繰り返しでその日の夕方を迎えた。
「お母様ですね」
「ええ、そうです」
「娘さんは特に大きな外科的と内科的な病状は問題ないと思いますが、精神的に少し異常があるのかもしれません。1日だけ検査入院をして明日の様子を見ましょう。明日精神的な問題なければ退院できると思います」
「そうですか、安心しました」
「でも、まだ明日退院できると決まったわけではないですよ。尿のお漏らしが気になるし、記憶に障害が出ないといいのですが」
「中間試験で少し深夜までの勉強のしすぎだと思うんです」
「そうですね、疲労は溜まっているようですので、今日はゆっくり休んでもらうことにしましょう、入院の手続きをしていただいたら、お母様はもう、お帰りになって結構ですよ」
「はい、ありがとうございます、でも病室は何号室になりますか?」
「それは後で看護婦から連絡させます」
由紀にはその医師とママとの会話がベッドの上で聞こえていた。今日、ゆっくり寝れれば明日はもう元気一杯の感じだが、睡魔がそのことを打ち消してしまう。由紀は病室へと搬送され始めたてベッドから感じる揺れに身を任すことにした。

病室へ搬送されてきた頃には、病院の夕食の時間も終わりに近づいていた。由紀のベッドの後ろからついてきたママは、周りが食事の終了する時間であることに気づくと、今日の由紀の夕食がないことに気づく。
「あの、看護婦さん、この木村由紀の母親ですが、今日の夕食はあるのでしょうか?」
「すいません、時間の規則でもう夕食をお出しすることはできません。木村様は内臓疾患はありませんので、好きなものを夕食で召し上がっていただいて問題ありませんよ」
「そうですか、ありがとうございます、由紀、夕食は何を食べる?」
由紀は相変わらず寝たままだ、このままでは何かを買ってきても食べてもらえないかもしれない。ママは由紀のベッドのそばに座り由紀の顔をじっと見る。
「由紀、目を覚まして」
だが、由紀は眠ったままだ。ママは由紀に付添っていても何も変わらないと感じると、一旦家に帰ろうとしていた。
「由紀、由紀が好きなお寿司でもと思うけど、ずっと寝たままだと腐ってしまうのももったいないし、売店で菓子パンと飲み物でも買ってこうようか?」
由紀に話しかけるが由紀は眠ったままだ。ママは決心をすると病院の売店に行き、菓子パンと飲み物を買って由紀の病室のテーブルに置く。
「由紀、菓子パンと飲み物を置いておくからね。目が覚めたら食べてね。今日は帰るね。また、明日様子を見に来るからね」
そう言うとママはカーテンを閉めて家へと帰って行った。由紀はしばら寝ていたが急に空腹を感じると空腹感はだんだん強まっていく。気がつけば朝に軽い食事をしただけで、ランチも食べていなかった。由紀はこのまま寝てしまうのもいいが、夜中に目が覚めるのも嫌だし、空腹には勝てなかった。うっすらと目を開けてると病室は夕食の後の片づけがひと段落した後の団欒の時間だ。小さな声でのテレビの音と看護婦さんの会話くらいしか聞こえてこない。由紀は急に起き上がりテーブルの上に置いてくれた菓子パンと飲み物を食べ始めた。由紀はただ空腹を満たすためだけの動物的感覚で食欲を満たしていった。
簡単な夕食だったが、空腹を満たすと少し安心感が出てきた。安心感は出てきても今日はもう寝るだけだ。中間試験での寝不足が満腹になった由紀を襲っていく。だが、ランチの時間に初めてのお漏らしをした後はトイレに行っていない。襲ってくる睡魔に立ち向かうようにおしっこをしたいという動物的整生理現象が立ちはだかってきた。ママが居る間にこういう事態になってくれたらと思ってもそれは後の祭りだ。由紀は眠りたくても眠れない体と格闘する。
由紀は下半身を包んでいる紙おむつを確認すると、お漏らしの決心をする。だが、横になったままではおしっこは出そうにない。ふと見るとテーブルの隣には簡易トイレが置いてあるのに気づいた。由紀はまた動物的な反射神経のようにガバッと起き上がるとおむつを当てたままでそのまま簡易トイレに腰掛けた。お漏らしのその後はナースコールで看護婦さんを呼んでおむつを替えてもらほうがいいのか、そのままにしておくほうがいいのか、答えが出ないままに、由紀はとりあえず襲ってくる尿意に勝てなかった。丁度様式トイレと同じように簡易トイレに座っていると我慢できなくなったおしっこがちょろちょろと出始めた。おしっこはおむつに吸収されつつもお尻のほうにも温かい液体として流れていくのがわかる。布団を汚してしまうことがないかとの心配は簡易トイレで済ますことでなくなった。そして汚す心配から開放されると出し始めた尿は止まらなくなる。温かい液体がお尻だけではなく、おへその近くにまでも吸収されているような感じだ。
「あ、私は赤ちゃん、おむつにお漏らししている赤ちゃんなの」
声にならないつぶやきを頭の中で繰り返しながら、由紀はおむつの中へのお漏らしを実感した。放尿が終わると、由紀は心配になっておむつの上から手で触ってみるが、パジャマにはおしっこが漏れていることはなかった。安心するとお漏らしをしたおむつの感触をかみしめる。
「あ、私は赤ちゃん、おむつにお漏らした赤ちゃんなの」
もう一度、その言葉を繰り返すと、今度は睡魔が襲ってきた。空腹を満たし、放尿欲が満たされると疲れた体は睡魔にはかなわない。由紀はナースコールを呼ぶことに悩むこともなくバタッとベッドに横たわると深い睡眠に落ちていた。

翌朝、由紀はいつもより早く目が覚めた。そうは言っても病院での起床時刻ははるかに過ぎていた。由紀は昨日の夜お漏らしをした紙おむつを確認する。おしっこを吸収したおむつは少しゴムのようになっているはずが、本当の紙のようにサラサラとしか感触だ。昨日は早めに寝てしまったので、その間に看護婦さんがオムツを替えてくれたのだろうか。正直に言っておむつを替えもらった記憶がない。でもおしっこを吸収した感じのおむつではなく、新しいおむつが由紀に当てられていることを感じた。病院の起床時間は早いが、朝食の時間はだいたい起床から2時間後だ。由紀は起床時間には起きれなかったが、朝食の時間前らしいことに気づく。若い体は少し睡眠をとれば今度は空腹が来る。だが、空腹が来る前には老廃物を出したい現象も襲ってくる。それも朝の場合には尿と大きな方も襲ってくる。由紀はトイレに駆け込むか、このままおむつにお漏らしをするかをおぼろげに迷う。せっかく赤ちゃんのように紙おむつを当てられてお漏らしが許される生活だから、もう少し甘えたいという気持ちとお漏らしをしておむつを替えられるのはやっぱり恥ずかしいという気持ちが交差する。気持ちが交差するなか、由紀はぼんやりと決心していく。
「そう、やっぱり私は赤ちゃんなの、病気なんだわ、この病院で治してもらおう」
由紀はそう考えるとまた簡易トイレに座り、小と大の排泄物でオムツを汚し始めた。私は赤ちゃんと追い込む気持ちがそうさせていた。私は記憶喪失で何を言われても反応せず、ママが来ても分からないという症状だ。おむつの中への排泄が一通り終わりお腹の反乱が終わると由紀はまた睡魔の中に落ちていた。
「木村さん、木村由紀さん」
看護婦が呼ぶ声に由紀は反応して目が覚めた。由紀は少し目を開けると、ベットの脇に看護婦が立っていた。
「木村さん、食事はとれそうですか?、もう朝食の時間はおしまいになりますよ」
由紀は返事をせずにぼんやりと天井を見続ける。その様子に看護婦は違和感を持った。そしてほのかに匂うアンモニアを感じると看護婦は由紀のお漏らしを想像していた。看護婦はそろそろ由紀の意識が戻り、普通の生活をできるはずだという医師の見立てが外れていたことを感じるとナースステーションに戻り、症状を看護婦長に報告した。
婦長はまず、おむつを交換することを指示し、医師の診察の指示もした。看護婦はなれた手つきで由紀のおむつ交換の準備を始めていた。由紀に多少の意識はあったが、症状は何もわからない赤ちゃんのようになっていた。
「あ、汚れたおむつを交換してくれる。赤ちゃんのようにお漏らしをしたおむつを交換してくれる」
由紀は恥ずかしさは感じるが何もできない赤ちゃんのように看護婦の言いなりになっている。
「はい、木村さん、おむつ替えますよ」
看護婦は小さな声で由紀につぶやくと慣れた手つきで汚れたおむつを交換していく。由紀は自分の排泄物を見られている恥ずかしさに耐えながら赤ちゃんのように何もしないでいた。
「赤ちゃんのように汚れたおむつを交換されているわ。私は赤ちゃんなの」
汚れた下半身をきれいにしてもらって新しい紙おむつが当てられると、今度は医師がやってきた。医師の診察にも特に反応せず、またどんな問いかけにも由紀は何も話せなかった。
「意識はあるようだが、記憶喪失かな。病状的には精神科の判断を仰ごう」
意思と看護婦はそれだけ言うと由紀のベッドから去って行った。しばらくすると精神科の医師が診察にきた。小学生にもわかるような質問にうんざりしながらも由紀は何も答えられなかった。由紀の入院はしばらく続きそうだ。

午後になるとママが見舞いに来た。由紀の大好きなお寿司を手土産に見舞いに来た。内科的にも外科的にも問題のない由紀はお寿司をペロリと平らげた。いつもの由紀の食欲と変わりはない。だが、由紀とのいつもの会話がない。その代わり由紀はママに今までには考えられないおねだりをするようになっていた。
ママが来る前におしっこをもよおしていた由紀はさっきと同じ方法でおむつの中に用を足した。1回分の尿は紙おむつが十分吸収してくれる。何もなかったようにそのままにしていたのだった。
ママは由紀のために雑誌や本、そしてテレビを見るためのカードなどをそろえてくれたが、お礼を言うわけでもなく、ママにおねだりしたのはおむつ交換だった。
「ママ、おしっこ出た」
「由紀、ようやく話してくれたのね、ママが分かる?」
由紀はそういう会話には返事もせず、おしっこを漏らしたことを訴える。ママは仕方なく、お漏らしを確認すると看護婦さんに連絡をした。しかしママは見舞いにいる間くらいは由紀のおむつを交換してあげようと思う。由紀のおむつを新しい真っ白な紙おむつに替えてあげた。おむつを替えている間もママの会話に由紀からの返事はない。そしておむつ交換が終わると由紀はさらにママに甘えはじめた。
「ママ、ミルク」
「今度はミルク?ちょっと待っててね」
いくら日常会話をしても由紀の口から出てくるのは、赤ちゃんの言葉ばっかりだった。おかしくなってしまった由紀を見つめながらどうしたらいいのかと考えていると、呼び止められる。
「木村さん、精神科の医師からお話があるそうです。こちらへどうそ」
気がつけば看護婦が呼びに来ていた。ママはナースステーションの隅にあるソファに案内されると年老いた精神科の医師が現れた。
「木村さん、お子さんの由紀さんは一時的な記憶喪失と思われます。きっかけはよく分かりませんが、いろいろなことを話しかけたり、今までの思いで深いものなどを見せて記憶が戻るように勤めてください。医療としては最善を尽くしますが、家庭や学校での思い出や友達と会ってもらうのも効果があると思います」
「分かりましたけど、由紀は変なことを言うのです」
「どんなことですか?どんなことでも話してください。それが早く記憶を戻すきっかけになるかもしれませんから」
「ええ、由紀はその、赤ちゃんのようなんです。お漏らしはするし、今日はミルクと言って私にせがむのです」
「おむつは木村さんが替えてあげたのですか?」
「ええ、病院の規則は分かりますが、私が病院にいる間はおむつ交換はしてあげようと思いまして、無理を言いました」
「それで由紀さんはどうでしたか?」
「別に何も変化はなかったですけど」
「そうですか。きっかけの原因は木村さんの家庭からするとよく分かりませんが、由紀さんは赤ちゃん返りをしているのでしょう」
「赤ちゃん返りですか?」
「そうです、よく2番目の赤ちゃんができたときに1番目のお子さんが母親を取られたような気持ちになって自分も赤ちゃんの振りをして母親を自分方に向かせようとする気持ちが高ぶると発生します。木村さんのご家庭は父親が不在ですか?」
「長期間の海外出張が多いので、父親が普段いなくて寂しいという気持ちは分かりますが、それが原因とは考えづらいです」
「そうですね、原因追求と同時に治療方法ですけど、由紀さんを赤ちゃんのようにかわいがってあげてください。おむつも替えてあげてください。ミルクも欲しがったら哺乳瓶で差し上げてください。看護婦には手配をしておきます。それから、赤ちゃんのような服があればそれも試してみてください」
「赤ちゃんの服と言いますと?」
「体はもう大人ですから大きな赤ちゃんの服というのは難しいと思います。ですので、涎掛けとか、おしゃぶりとか簡単に手に入るものがあれば由紀さんをそれで赤ちゃんのようにしてかわいがってあげることです。それから視覚に訴える部分が大きいですので、そういう赤ちゃんの姿になった由紀さんを鏡で見せてあげてください。さらに写真にとって手元においてあげて本人がいつでも見れるようにしてあげるのもよいかもしれません。もちろんおむつ交換の写真も赤ちゃんのようで効果があると思います」
「分かりました」
「お母さんなりの愛がこめられた赤ちゃんの姿をさせて、かわいがってあげてください。由紀さんが思い切り甘えてくると赤ちゃん返りが終わり、記憶が戻るのにも役立つと思います」

精神科の医師からの説明に唖然としながらも由紀をどうやって赤ちゃんとして扱うかをママは考えていた。病室へ行く途中、ママは売店に寄ってみた。東西病院は産婦人科から小児科など複数の専門を持つ総合病院だ。売店で扱っているものも赤ちゃん用品から老人用までいろいろなものがそろっている。ママはすぐに目についた哺乳瓶、おしゃぶり、そして大分小さいだろうが、涎掛けを購入して病室へ向かう。病室で赤ちゃんのようにするための品物を由紀に見せてみるが由紀は相変わらず何の反応も示さない。本当に由紀は赤ちゃん返りになってしまったのだろうか。由紀を赤ちゃんのようにかわいがってあげれば本当に直るのだろうか。そんなことを考えて由紀に話しかけても由紀は相変わらず無反応のままだった。

次の日の午後、由紀の友達の美恵が見舞いにきてくれた。
「あら、美恵さん」
「お見舞いにきました。由紀、元気?」
「美恵さん、由紀は記憶喪失のようで何も覚えていないようだし、何も話さないのよ」
「あら、大変、じゃ、楽しいことととか、いろいろ思い出話を話してみますね」
ママは由紀が赤ちゃん返りしていることは話したくなかった。高校生にもなって赤ちゃん返りではみっともないし、まずはママと由紀の2人だけで赤ちゃん返りを直していこうと考えていた。
「本当に無反応ね、由紀、でも病気じゃ仕方ないよね。何か思い出だったようなものをもってまた来ます。さようなら」
由紀の無反応さに美恵もあきれて早々に退散していった。しばらくすると高校の担任の先生が見舞いに来てくれた。
美恵に説明した内容と同じ内容を説明すると、若い女性の病室に居づらいのか、若い男の担任の先生も早々に立ち去った。
「由紀、友達や先生の顔も分からないの?」
由紀は相変わらず無反応のままであった。

テーマ : 自作小説(ファンタジー) - ジャンル : 小説・文学